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マネーの虎で1億円を希望した中華ファーストフード店の考察

マネーの虎のビジネス学
上原です。
マネーの虎に学ぶビジネス学講座ということで、今回は「中華ファストフード編」を考察してみます。

マネーの虎、中華ファーストフードの考察

プレゼンターは23歳の大学生で、やりたい事業は「中華のファーストフード」だそうで。

希望した金額は1億円でした。
結論から言えば・・・まあ1億という金額ですので、額も額だったというのも含め、当然のごとく「ノーマネーでフィニッシュ」だったこの回ですが、流石にこれは、あまりにも志願者のレベルが低すぎました。
23歳という年齢のわりにはとにかく全てが「甘い」の一言。
現役の大学生らしいので、社会経験もゼロ。
全てにおいて「駄目だらけ」のプレゼンでしたが、強いて駄目だったポイントを集約するなら以下の2つだと思います。
・事業におけるウリ、ポイントが根本的にズレている。
 
・力量、事業内容に見合わない資金を希望している。
まずこの志願者が提唱した中華のファーストフードというもの自体は、私個人の肌感でいえば実際に「やって成り立たない商売ではない」と思います。
故に、そのアイデア自体がどうこうという問題ではないのですが、志願者がその中華ファーストフードのウリにしたいポイントや、その「拘り」としてプレゼンをしていたポイントが、あまりに「飲食ビジネス」としての的からズレていました。
その中華ファーストフードの概要としては、
・若者向けのファーストフードを作りたい
→若者をターゲットにした安く食べられる中華のファーストフード
・「おしゃれ」で「かっこいい事」がウリである
→若者はおしゃれでかっこいいものに集まる(金を落とす)
・紙のコンパクトな容器で中華を食べられるようにする
→それがとにかくおしゃれでかっこいい。
・若者にかっこいいと思ってもらう為、外観にはお金をかけたい
→かっこよければ若者は集まる。
と言ったもので、その「箱詰めの中華」をそのまま歩きながらでも、立ってでも食べられるようにする事で、
「そういう容器でモノを食べる行為そのものがおしゃれでかっこいい」
「そういうおしゃれでかっこいいものは流行る」
というのが志願者の主張です。
まあ、それが「おしゃれ」で「かっこいい」かどうかは人それぞれのセンスや感覚によって分かれるところでしょうし、志願者自身はそれを本気で「かっこいい」と思っている点からも、その志願者と同じ感覚を持っている人はそのように思うのかもしれません。
(私は全く思いませんが)
事実、そういった感覚的な部分やセンス的な部分で、自分に近い感覚を持っている人というのは、自分がよほどズレていなければ少なからずいるものです。
そして大半の人は「流行り」に流されていく傾向にありますので、それが「かっこいいんだ」という風潮になれば、実際にそれを「かっこいい」と思う人は増えていきます。
ですので、志願者の「おしゃれ」「かっこいい」という感覚や、それを形にしていこうという事自体はとくに問題ありません。
 
要するにそういった感覚やセンスなどによるものは、マーケティング等をどう仕掛けて「流行らせるか」で、どうにでもないポイントであるという事です。
結局、世の中の大半の人は「流行れば」それに流されていくからです。
それはほんの一昔前の「フャッション」などを見ても一目瞭然ですし、10年、20年前に今の人の達最先端のファッションがそのまま受け入れられるかと言えば、難しいはずです。
要するにそういった感覚的なセンスなどは何が正解というものがあるものでもなく、
「流行ればそれが正解になるもの」
であり、流行りはその「仕掛け方」で作り出せるものなので、私達マーケッターにとっては、そういった感覚やセンスが今現在の時点で「ある」「ない」という視点はどうでもいいわけです。
「何それ?」
としか思えないようなものでも、仕掛け方次第ではいかようにも流行らせられるものだからです。
ただ、この志願者の「センスの無さ」は、そういった「おしゃれ」「かっこいい」のセンスではなく、その「おしゃれ」「かっこいい」という感覚を
「飲食」
「ファーストフード」
にそのまま当て込んでしまったところにあると思います。

センスそのものが悪いのではなく、それを向けた方向性が悪い

多くの人(消費者)が「飲食」というものに求めるものは何か、ファーストフードというものに求めるものは何か。
その飲食というものやファーストフードというものに、消費者が「求めるもの」をこの志願者は完全に間違っているというか、そこに視点すら置く事が出来ていないのが問題ではないかと思います。
 
要するに「飲食」と言うものにお金を出す側の人達や「ファーストフード」というところで飲食をする人達が、「かっこよさ」や「おしゃれさ」を実際に求めているのか?
 
そして、その要素にお金を払うのか?
という事ですね。
・・・これに関しては明らかに「求めていない」というのが大多数の消費者の感覚であり、実状だと思います。
「飲食店」というものに対しては「おしゃれさ」や「かっこよさ」という要素を求めるニーズはあると思いますが、この志願者の主張するこの中華ファーストフードのかっこよさは、
「紙のコンパクトな容器で詰められた中華を歩きながらでも立ちながらでも食べられる」
というところにあるとして、それをこの事業の「ウリ」にしています。
勿論、その容器がかっこいいという事ではなく、
「そういう容器で食べてる姿がでおしゃれでかっこいい」
と言っているわけです。
そしてその「かっこよさ」に多くの若者がひかれるだろうと。
これは言わばその「歩き食い」や「立ち食い」のスタイルがおしゃれでかっこいいと言っているわけですが、
「飲食」
「ファーストフード」
に対して、「歩き食い」や「立ち食い」のスタイルや、そのおしゃれさ、かっこよさを求めるニーズがあるでしょうか。
そこに付加価値を感じて対価を払う人がどれだけいるでしょうか。
それが「食べやすさ」という視点ならまだしも、
「歩き食い、立ち食いをしている自分のかっこよさ」
を求めて飲食やファーストフードにお金を払う人や、
「何を食べるか」
「どこで食べるか」
を決める消費者はどう考えても少数派だと思います。
 
要するに、例えそれが「かっこいい」と思ったとしても、その「感覚」は飲食やファーストフードという市場ではさほど「消費」には傾かない可能性が高い・・・という事です。
何よりそこまで「人目に付く事」を前提とした「歩き食い行為」「立ち食い行為」に対して、そこまで高いベクトルを持っている人も少ないと思います。
飲食は基本は店内で、テイクアウトをしたとしても、オフィス、公園、自宅が前提ではないでしょうか。
あえて「中華を歩きながら、立ちながら食べたい」と思う人は私はどう考えても少数派だと思います。
(大半の人は落ち着いて座って食べたいジャンルのものだと思います)
ましてそこに「他人の目」という点を意識して、おしゃれさ、かっこよさを追及する人は更に限られます。
要するにこの志願者が提唱する中華ファーストフードビジネスは、その感覚、センスを向ける方向性そのものが消費者のニーズや感覚と完全にズレてしまっているわけです。

志願者が提唱した「マーケティング?」らしき理論

また、この志願者は一応、この中華ファーストフードビジネスのマーケティング展開(らしきもの?)も主張していました。
まあ、本当にマーケティングと言えるほどのものでもないのですが、
「まずは外国人の多い六本木に店を出して、彼等に街中でその箱詰めの中華を食べている姿を広めて貰う」
というもので、それを見た日本人が「かっこいい」と思い、こぞって真似をし始めるだろうという思惑でした。
外国人はこういった箱詰めの中華などに抵抗がないので、すぐにでも飛びついてくれるだろうというのが彼の主張です。
もともと志願者がこの「箱詰め中華」にインスパイアされたのはL.Aへホームステイを経験している時らしく、海外(アメリカ)ではそのスタイルがスタンダードなのだとか。
よって、アメリカ人が多い六本木でこの店を出せば、まずはアメリカ人から火が付いて、それを見た日本人が自分と同じように
「かっこいい!」
とインスパイアされてこの中華ファーストフードにたちまち若者が群がっていくだろう。
というのが、この志願者が考える「マーケティング(笑)」です。
まあ、先程もお伝えした通り、かっこいいという感覚やセンスは人それぞれですし、大半の人は流行に流されるのが常なので、彼のセンスや感覚がどうというのは問題ではありません。
ですが、その「かっこいい」という風潮、その「流行」を作る為の戦略、仕掛けとして
「六本木の外人がそれで食べていれば皆がかっこいいと思うだろう」
というのはかなり考えが甘いというか、それこそ「自分だけの感覚」に頼り過ぎているところがあります。
六本木の外国人が箱詰めの中華を食べているのを目に出来る人の比率。
それを見て実際に「かっこいい」と思う人の比率。
そして実際に、
「あの外人達みたいに歩きながら中華を食べたい」
と思う人の比率は正直「たかが知れている」と思います。
せいぜい、この志願者のように、外国人への憧れを強く持っている一部の人だけでしょう。
少なくともそのレベルの「仕掛け」では、それを「かっこいい」とする風潮、流行は作れないと思いますね。
今時、そこまで六本木の外国人のやっている事を見て、素直に憧れを抱くような若者が多いとは思えません。
何より六本木で遊んでいるような若者は、少々「特殊な層の若者達」だと思うので、一般的な「大多数の若者達の趣向」とは違う気がします。
基本、風潮や流行は仕掛けによって作り出せるものですが、この志願者の主張する「仕掛け」は完全に自分の感覚だけに頼り過ぎているものなので、これではおそらく上手くはいかないだろうと思います。
まあ「1億」というお金を投じるにはリスクだけが高過ぎますね。
それこそ彼が提唱するレベルのマーケティングによって、実際にそれが「かっこいい」という風潮を作れるというなら、ひとまずは移動販売の車でも用意して、その箱詰めの中華を売り歩いてみるところから始めるべきだと思います。
それなら1000万円もかけずに事業が出来ますから。
その点で、この志願者はどう考えても「1億」というお金を
「どうせ人から出してもらうお金だから」
というレベルで軽く考えていたと思います。
実際のマネーの虎という番組で得られるお金が返済義務の無い出資(投資)という形で手に出来る資金だとしても、事業としてやるからには、それを「身銭を切る事と同じ」か、それ以上の「重いお金である」という意識は絶対的に持つべきです。
自分自身に一切の「弁済義務」が無い以上、それは「人のお金で事業をする」という事なのですから、自分の全てを犠牲にしてでも利益を上げる覚悟が無ければ、人のお金でビジネスをする資格なんて無いわけです。
それこそ株式を上場させている上場企業の経営者は少なくとも、そういう意識で事業をやっているはずです。
そういう意識で事業をやってきたからこそ、株式を上場出来るような会社を実際に経営出来ているわけです。
この志願者も自分のビジネスモデル、ビジネスプランを冷静に考えれば、どう考えてもいきなり1億もの資金を投じるだけの価値、勝算、裏付けはほぼ何も無いに等しかった事は明らかです。
故に、そのレベルの事業プランで1億を打診する時点で話になりません。
この時点で
「人の金でやれるなら、やりたい」
みたいな考えの甘さ、経営者としての責任感の無さが明るみになっています。
このレベルの事業プランなら、まずは出来る限り費用を押さえた形でやってみるべきであり、その「形」に見合った資金調達を目指すべきだったと思いますね。
 
というか、この志願者自身が1億の「借金」を背負うという条件なら、この事業を1億円を投じて進める覚悟があったかと言えば、私は間違いなく「無かっただろう」と思います。
そんな意識の人間にお金を出す人はまずいません。
事業プランがずさんだった事は言うまでもありませんが、この志願者がノーマネーだった一番の要因はそこだと思いますね。
結果論を言えば、ここまでずさんな事業プランに対して何の根拠もない1億円というただリスクだけの高い金額を希望してきた事。
そこにその甘さや責任感の無さの全てが出ていたと思います。
出資(投資)を募る立場で事業をするというなら、自分が身銭を切る以上の高い意識と責任感を持つべきであり、その前提で事業プランや資金繰りを練るべきだという事ですね。
「中華ファーストフード」に1億円を志願した男。
この志願者の事業、この志願者自身をあなたはどう見ましたか?
以上、
「マネーの虎に学ぶビジネス学講座、中華ファーストフードに1億円を志願した男編」
でした。
他の放送回における考察も行っていますので、興味があればどうぞ。
 
参考にされてください。
それでは。
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